わざとらしい人助けはスピリチュアルで偽善だ!そんなイメージの僕を変えた出来事

今回は僕の考えを根本から変えたエピソードを話そうと思う。
よく人助けは善なのか、偽善なのか、悪なのか、という討論が起きている。
僕も例に漏れず、この人助けについて考えを巡らせることがある。

以前までの僕はわざとらしい人助けはスピリチュアルであり偽善だ!そう思っていた。
しかしあることがきっかけで僕の考えは根本から覆った。

そのため、人助けは善悪どっちなのか、そう思っている人は最後まで見ていただければ幸いだ。
最後まで読めばその考えはきっと驚く方向へシフトするだろう。

 

そもそも人助けとはなんだろう?

そもそも人助けとなんだろう?
ふとそんなことを思う人もいるはずだ。

人助けとは、困っている人を助ける行為。
もしくは思いやりや優しさの表れの行為である。

確かに人助けというその行為自体は、とても素晴らしいと僕でも理解できる。
というより誰でもそう捉えているはずだ。
しかしその人助けを利用する、もしくは手段にしている人が大勢いるのも事実だろう。
僕はそれを「わざとらしい人助け」と呼んでいる。非常に甚だしい。
とてもスピリチュアル的だし偽善な行為だ。
そう思っていた。

その理由について話していこう。

 

わざとらしい人助けはスピリチュアルだ!そして偽善だ!

人助けの定義については理解できただろう。
それでは、そのわざとらしい人助けがスピリチュアルで偽善だと思う理由を見ていこう。

僕は以前までそういった人助けを許すことができなかった。
その理由は、わざとらしい人助けをする人は自分のことしか考えていないからだ。

本来人助けは相手のことを想って行うことであり、困っている人を助けるのが目的のはず。
わざとらしい人助けをする人は、自分の目的のために人助けをしているのだ。
それはつまり、目的と手段が入れ替わっている正しくない行為である。

例えば、電車内でご高齢者に席を譲る行為。
これは非常に素晴らしい人助けといえるだろう。
しかし相手を想っての行為ではなく自分の優越感や自尊心のために行っていたとしたら、それは良い人助けと呼べるのだろうか?
いいや、とてもスピリチュアルであり偽善的だ。

ほかにもある。
助けを求めている人間は世の中にたくさんいる。
それだけ悩みが尽きないよいうことだ。
ですが、その悩みに漬け込んでお金を稼いでやろうという人がたくさんいるのも事実。
人助けのように見せて実はお金のために行っている行為は非常に許しがたい偽善である。
そして悪質であるともいえるだろう。

そのため僕はわざとらしい人助けが許せなかったのだ。
以前までは。

 

「介護の評判」を見てから人助けのイメージが変わった

僕の人助けに対するイメージはこんな感じでした。
人助けには良い悪いの2種類があり、偽善的な人助けはあきらかな悪だった。
しかし、あることがきっかけでこのイメージは180度変わったのだ。

それは「介護の評判」というサイトを見たからである。
介護職の実態を紹介する至ってどこにでもあるようなサイトなのだが、大事なことに気付かされた。

人助けに善悪などない、ということ。
介護職は人助けの連続で成り立つ職業だ。
困っているご高齢者の付き添いをしたり、一人ではできない排泄を手伝ったりなど。
しかしそれは仕事として行っているため、介護士はお金をもらっている。
別の観点から考えると、お金のために人助けをしているのだ。
それは以前までの僕の考えからすると偽善であり、とてもスピリチュアルな行為である。

しかし「介護の評判」で気付かされた。
お金のための人助けであったとしても、正しくない人助けであったとしても、介護をしてもらっているご高齢者は「助かっている」のである。
人助けをする側がどう思っているかなんて関係ないのだ。
される側が助かっていれば人助けはそれでいいんだと。

このサイトを見てから心からそう思うことができた。
こうして僕は人助けに対してのイメージを変えることができたのだ。

 

今日からできる2つの人助けを紹介

ここまで僕の心境の変化をお話した。さて、ここからは未来のことを考えていこう。

今日からできる人助けは下記の2つだ。

身近な人に「ありがとう」と感謝する

いつも何気なく接している身近な人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えよう。
それだけで立派な人助けとして成立する。
なぜなら言われた相手が気持ち良くなれるからだ。

この場合、感謝する理由はどうでもいいかもしれない。
とはいえ感謝の言葉を発するからには、本心から感謝するようにしよう。
そうすることでその気持が相手に伝わり、お互い良い気持ちになることができるだろう。

少しでも困っている人を手伝う

これから先、少しでも困っている人を見かけたら手伝うようにしよう。
理由なんて問わないほうが良い。
相手のことを想って行うのがベストだが、相手からすればそんなことはどうでも良いだろう。

相手が助かればOKなので、助ける理由を考えることなく人助けを行おう。
それが1番正解なのだ。

 

【まとめ】わざとらしい人助けでも結局は「相手がどう思うか」

今回、わざとらしい人助けについて熱心に解説した。
わざとらしい人助けはスピリチュアルで悪い意味があると思っていた僕は、『介護の評判』というサイトに出会って考え方が大きく変わった。
そして介護には人助けの本質が詰まっている、素晴らしい仕事だと実感できた。

これから先、人助けを行う場面があればぜひとも思い出してほしい。
人助けに理由なんていらない、相手が喜べばそれで良いんだと。
僕はいつまでもこの信念を大切にしていきたいと思っている。

そして、今日から小さな人助けを積み上げていくつもりだ。

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